その6 トラブル相談
1998年-2002年、マレーシアに駐在させていただいた。その間は、進出している日系企業の支援と、政府としての経済・技術協力として、現地の裾野産業育成の支援であった。もちろん、基礎的な業務として、日本企業への情報提供や相談への対応というのがあった。今思い出しても様々な会社が訪れていただいたし、世の中には本当にいろんな会社があるんだなと思ったのを覚えている。たまに寄せられる相談に一つの傾向があることがわかった。日本の中小企業からの相談は、ほぼほぼ、どこに売ればいいか?ということと、売ったがお金を払ってもらえないという売掛け金の回収についての話であった。
正直、売掛け金の回収について、これは日本でもそうかもしれないが、焦げ付いたものの回収というのは本当に厄介というか難しい。日本にいながらにして、在外の企業から回収する困難さはもっとだ。契約書もある、機械も渡している、約束どおり支払ってくれない、という話を幾度となく聞いたように思う。ただ、当時ジェトロとして相談を聞いても、直接はあまり手助けできることがなかった。商事仲裁についてや、せめてもと弁護士を紹介するくらいだったように思う。
アジアや発展途上の国とビジネスをするのは簡単ではない。大企業はともかく、中小企業は慎重に考えないといけないのではないか、その時にそういう考えをもった。
そうこうしているうちに、充実した丸4年間の駐在期間を終えた。研修を経ているだけに、マレー語も理解する私は、本当にマレーシア中を走り周り、多くの経験を積ませていただいた。そして、駐在を終える間際に、ジェトロの理事長が来られ、アジア太平洋のジェトロのような貿易振興期間を集めた会議があった。その場で、ジェトロの理事長が言った「我々は輸出振興を再開するかもしれない」。
日本の貿易黒字や巨額のジャパンマネーが世界を席巻したのは80年代。90年代に入り、日本は失われた10年なのか20年なのか、くらいくらい道を歩んでいるとされていた。貿易黒字の多さからご法度となっていた、輸出振興事業が、再開されるかもしれない。その話を聞いて、少しワクワクするような気持ちを持ったのを覚えている。これまでの日本への輸入を増やそうといった事業にはものすごく違和感があったからだ。
素晴らしい日本の商品を海外に紹介する。そんな仕事をもっとしてみたいなと思い、帰国した。2002年の8月だった。