[特別インタビュー] フォーカスアメリカ創業10周年を迎え

おかげさまでフォーカスアメリカコーポレーションは、2022年の8月をもって、10周年を迎えることができました。これも一重にお客様や取引先様、そしてフリーランスやインターンも含めた従業員のおかげです。感謝しかありません。10周年を記念して、コスモポリタン誌などで活躍される、ニューヨークのライター、Suga Reikoさんにインタビューを頂きましたので、ぜひお読みください。
Focus America Corp. 代表 蟬本

2022年で設立10周年を迎えたフォーカスアメリカコーポレーション。「世界の人々が喜ぶ日本の『こころ』を届けたい」という想いを持って創業されました。日本メーカーの海外販売代理店業務や、アメリカでの展示会出展支援、貿易・物流・輸出サポート、市場調査や国・自治体のプロモーション活動の支援など、日本とアメリカを繋ぐ架け橋として、さまざまな事業を手がけてきました。

10年前に比べ、テクノロジーの発達と時代の潮流が変化することによって市場の在り方も変化。こだわりを持ちながらも時代の変化に適応しながらビジネスを拡大させて行くには経験からくる揺るぎない自信と時代を読む直感がないと難しいことです。

「この10年間、ニューヨークという街にも、自分の事業にも夢中だった」と語るフォーカスアメリカコーポレーションの蝉本 睦社長。その言葉からは熱意あることに没頭し、突き進んでここまで来たという自信とパワーが感じられます。

会社設立から駆け抜けてきた10年、時代の風を読みながら新たな事業を展開している現在、これからの展望について伺いました。

創業からの10年を振り返り

—— 10周年を迎えての率直なお気持ちは?

「もう10年なんだ、まだ10年なんだ」という対局にある2つの気持ちが混在しています。大変な時期も多かったので30年ぐらい会社をやっている気もしますし、一瞬で10年経ってしまった感じもするので不思議ですよね。

会社を設立した当初にまずは5年の経営計画を立てたのですが、5年後に見返してみたらほぼ計画通りに進んでいたんです。「まるで予言が的中したみたい」と思ったと同時に、想像したことは実現できたんだから、もっと大きく想像しないとダメだなって。見えてないものは実現できない。だからこそ、大きく想像しないとダメ、と感じたんです。

独立してすぐは自分一人だけだったので、パソコンさえあればどこでも仕事が出来るので、市立図書館や、ブライアントパークのベンチに座って仕事をしていました。当時にしてはブライアントパークのwifiは早くて、公衆トイレもあったので最適でした。起業前まで勤めていたジェトロでさまざまな経験をしてきていても、独立した自分にそんなに簡単に仕事が来るほど甘くはありませんでした。展示会に行って「独立しました」という挨拶回りをしましたが、すぐには仕事になりませんでした。独立して最初の仕事は、200ドルをいただいて「展示会の間、段ボールを預かっておいて欲しい」というものでした。そんな仕事でもとっても嬉しかったですし、今でもとても感謝しています。

ここまで来れたのは一緒に頑張ってついてきてくれた社員、フリーランスで関わってくれたスタッフの皆さまのお陰だと思っています。創業以来本当に多くの方に支えてもらいましたし、パンデミックのようなピンチの時も、みんながいてくれたら乗り切れました。今はいいチームに恵まれています。これも社員やスタッフの方々、支えてくれた方々がいたからで、感謝の言葉しかありません。

—— どういったミッションでフォーカスアメリカコーポレーションをスタートされましたか?

ジェトロのニューヨーク事務所在籍中の4年間で日本企業約500社の展示会出展サポートをしました。元々独立したいなという漫然とした想いはあったんです。展示会の際にクライアントのブースに立っていると、全米の名だたるバイヤーがブースに来てくれて商品を絶賛してくれるのですが、その後が続かないということが多々ありました。「どうしてだろう?」と頭を巡らせていたのですが、言語の問題やコミュニケーションの問題があると分かった時に、日本企業の橋渡し的な存在を自分がニューヨークに残ってやったほうが世の中のためになるのでは?と思ったんですよね。あとは、復興支援で東北の沿岸部を訪れたおり、眼前に広がるだだっ広い津波の被害に遭われて何もかも無くなった土地を見た時に「人生は一度切りだ」と思ったんです。それに、子供たちが大人になった時に「お父さんは独立したかったんだけどね。。。」なんて言葉も言いたくなかった。たとえ失敗したとしても「お父さんは挑戦したんだよ」って言えた方がいいなと。そんなことで、独立を決意しました。

—— 海外での起業で壁にぶつかった経験や問題に対してどう対処して来ましたか?

海外特有の問題で言うとビザですね。ジェトロを退社してから起業をしましたが、自分でビザを申請してVISAが降りるまでは就労ができないので一年間はお給料なしでした。あとは起業や各種申告に伴う行政手続きなどは初めてだったので苦労しましたけど。

でも、ジェトロ時代にはインドやアルジェリアに行ったり、アメリカ以上にどうにもならない国で就業させてもらった経験が役に立っているんだと思います。アルジェリアの展示会ではテロの恐れがあるということで展示会場がホテルの目の前にあるのに爆発物をチェックしながら移動したり、もうかれこれ30年近く前になりますが、ベトナムに長期滞在した時はろくに医者もいない時代で医者に行った方が感染する確率が高いから病気になっても医者にも行けないという過酷な状況も経験しました。

—— 壁にぶつかった時、どう乗り越えて来ましたか?

さまざまなプロジェクトを手がけていくうちに転機が訪れて、それをもとに軸足を変えていきました。転機というのは半ばピンチでもあったのですが、そうしたことがあるごとに方向転換をして進んできた感じです。

最初の転機は2017年でした。日本政府観光局主催の「Japan Week」という催しがあり、企画・実施・運営を担当させていただきました。契約から2ヶ月でスポンサーを18社集め、ひと晩で20tの石をグランドセントラル駅の中に運び込んで石庭を作った作るという大胆な演出をして話題を呼びました。おかげさまで大成功を納めたのですが、翌年コンペに落ちてしまったんです。その時、「他にも代わりがいるんだ」と思って、私たちにしか出来ない仕事をしようと決めたんです。そこで日本の商品をもっとアメリカで広めたいと思うようになり、日本商品の北米への輸出販売へと一気に舵を切るようになりました。

2回目の転機は2018年から2019年にかけてアメリカのEC市場について調べて欲しいという市場調査の依頼を受けた時のことです。色々とリサーチをするうちにアメリカのEC市場のものすごい伸び率や金額が数字で見えてきて、Amazonの強さに納得というか、その強さが浮き彫りになってきたんです。

ちょうどその頃、展示会に足を運んでみると来場者が減っていっているなという感覚があって自分の感覚がピタッと合ったんです。EC市場の拡大に伴い、展示会(リアル店舗)の需要が減ってきているな、と!その年に社としてデジタル元年宣言をしました。Shopifyを導入した自社ECサイトのSANTOKUは2015年からスタートしていたのですが、これを機に卸システムのデジタル化にも踏み切りました。卸なので一般の方から見られたらダメな情報もあるし、会社の会計システムを倉庫の管理システムと連動させたりしたのですが、今まで誰もやっていなかったことなので試行錯誤の連続でした。

変わらない想い「日本のこころを世界に」

2020年3月に新型コロナウイルスが直撃して、はっきりと分かったんです。契約寸前まで行っていたプロジェクトが全部飛んで、僕自身も初期に新型コロナウイルスに感染してしまい、熱も全然下がらなくて、呼吸困難になって、その当時はワクチンも薬もなければ検査すらまともに受けられない時でした。本当にもうダメだと思った時期がありました。そんな時に以前から仕込んでいたデジタルの売り上げがパンデミックによって一気に跳ねたんですよね。たまたまですが、弊社が扱っていた商品が自宅で過ごす時間が増えた消費者にとって必要で、魅力的な商品であった。あの時は神風が吹いたとしか言いようがないんです。

今までイベントとデジタルの両軸で事業をしていたのがパンデミックで片翼飛行になってしまった。でも、墜落せずに済んだのはデジタルに移行をしていたからで本当にラッキーだったというか。僕自身はイベントや展示会でキャリアを積んできたのに、そこに固執していたら堕落していたなと思います。「こだわり」という言葉は僕にとってはマイナスワード。こだわりと固執は紙一重で、固執しているといつまでも変われないし、時代に取り残されていきます。そういう意味で自分の直感は大切にしています。

僕がニューヨークに来た頃は展示会に行くと大行列が出来ていてブースを取るのに10年待ちということもあったんです。でもそれが時代とともに変わっていくわけですが、バイブスや肌感覚で分かるんですよね。展示会が廃れたというのではなく、小さなショップで買い物をしていたのがネットショッピングでも出来ると分かってしまった。ローカルの小規模店舗だけでなく、2020年はアメリカの大型チェーンだけで1万2000店舗が閉まったという報道が出ています。実体験、統計、報道とさまざまな要素が揃って時代が変わったんだなということを感じた時でした。

起業してから5年間はかけずり回ってどんな仕事でもこなしてきましたが、色々な転機があって事業の軸足を時代とともに徐々に変えていきました。自分達のやるべきことも新型コロナウイルスをきっかけに明るみになった。今は自分が見ようとしている景色が見えてきたんです。

色々な変遷を経てきましたが、実は私たちの本質は変わっていないんです。創業から私たちは「日本のこころを世界に届けたい」という気持ちを持って事業を展開してきました。特にカスタマーサービスには力を入れて、お客様を大切にし、大切な商品を届けてきました。米大手のディストリビューターさんとの契約を断って、「フォーカスさんなら私たちの商品を丁寧に扱って頂けそう」と任せて頂いたクライアントさんもいますし、目立つようにと発送する商品を入れる段ボールの蓋にメッセージを書いたらお客様に大感激いただき、わざわざお礼の連絡を頂いたこともありました。

日本だったら当たり前のようなことでもアメリカでそれを徹底することで私たちのサービスの本質を分かっていただける。一見、非効率だと思われるかもしれませんが、そういう小さな心配りにこそ日本の心があり、そこを大事にしながら仕事をしていきたい。私たちはあらゆるお客様に誠心誠意尽くして行きたいなと思っているので、これからもカスタマーサポートには重点を置いていきたいですし、変わらず大切にしていきたいことです。創業からのメッセージである「日本のこころを世界に届けたい」、という気持ちはどんな時にも私たちのサービスの原点にあります。

—— ピンチをチャンスに変えたタフな蝉本さんの座右の銘は?

私が経営者として、人間として尊敬する稲盛和夫氏から学んだ好きな言葉が二つあります。「昨日より今日、今日より明日」ここまでの10年はこの言葉をモットーに毎日改善を重ねてきました。あとは極限状態で粘れるというところでしょうか笑?学生の頃から剣道をやっているのですが、かかり稽古の極限状態の中で醒めるような一本が出たりするんですよね。粘って粘って、、、素晴らしいものを生み出す。「もうだめだと思った時が仕事の始まり」これも稲盛さんの言葉ですが、「人生かかり稽古」だと思っています。

—— 10年間で思い出に残っているプロジェクトを教えてください。

前述した2017年の「Japan Week」はもちろん思い出に残っていますね。他には、岐阜県のPRを担当させていただのですが、2014〜2018年にアメリカのバイヤーの方達と一緒に岐阜県に行き、県内の工場を毎回20件以上くまなく回ったことがありました。通訳をしながら回ったのですが、もちろん僕が日本人なので日本の価値を理解していると同時に、私たちはアメリカのマーケットも理解しているということで自分の価値を感じましたね。双方の市場を理解した存在として、日本の市場にもアメリカの市場にも役に立てるのではないかと実感した案件でした。そしてその岐阜行脚がきっかけで、今では自分が岐阜からたくさんの商品を仕入れさせていただき、アメリカで販売しています。これもご縁ですね。

フォーカスアメリカの現在とこれから

—— 現在のフォーカスアメリカコーポレーションの業務について教えてください。

一つの軸としては日本のメーカーさんが作る商品の北米への輸入、小売店への卸販売、市場調査などのマーケティングサービス、それから北米進出の際のプロモーション、ブランディングなどが中心になっています。

もう一つの軸としては、日本の商品を中心に取り扱いを行っている自社EC「SANTOKU」の運営、やアマゾンプラットフォームを活用した小売販売など、消費者にオンラインを活用して直接販売する業務が増えてきています。

SANTOKUでは日本の技術が凝縮された商品を扱っています。例えば、バーウエアブランドの「BIRDY.」は、世界のトップクラスのバーテンダーたちが愛用するカクテルツールとして世界中で認知されていますが、愛知県豊田市の自動車部品メーカーの0.1ミクロン単位の緻密な研磨技術が活かされています。BIRDY.開発当初には、長らく日本の洋食器の製造を支えてきた、新潟県燕市の職人の助太刀があった。世界のTOYOTAさんのサプライヤーとして磨き上げた産業技術と職人の匠の技、そして世界でもトップクラスのバーテンダーによるデザインが組み合わさった最高のバーツール、そんな商品を扱わせて頂くことは光栄極まりないと思っています。アメリカでの販売も好調で、我々はこういった商品をもっとたくさん見出し、時には共に作って行きたいと思います。

—— 現在取り組んでいるプロジェクトはなんですか?

はい、先ほどご説明したように、自社ECのSANTOKUでさまざまな日本の商品を取り扱わせていただいていますが、現在、「CICADA(シカダ)」というライフスタイルブランドを立ち上げ、商品を開発中です。

CICADAブランドでは、少し堅いのですが、「我々は、誠実で革新的、本物かつ社会に責任のある製品を見出し、創造し、国境さえも越えて届けることで、すべての思いやりある人々の毎日の生活を豊かにし、今日よりも良い明日を実現する」をミッションステートメントに掲げ、ものづくりをしていきます。結局我々が行っていること、やりたいこと、目指すところはこういうことなんじゃないかと。

ローンチ初の商品は佐賀県有田の有田焼で作ったセラミック・コーヒーフィルターをリリースします。個人的にコーヒーが大好きで、もうハンドドリップで30年飲んでるのですが、紙のコーヒーフィルターよりも陶器で濾した方が深みのある味わいになる、これは感動でした。そして、この感動を届けたいと思ったのがきっかけです。もともとある商品なのですが、アメリカ市場に合わせたデザインや大きさに変えて頂き、我々のブランドを名乗らせていただいています。偶然あとで知ったのですが、焼いていただいている窯元さんは、かのブルーボトルのドリッパーも焼いていらっしゃいます。そんなものと肩を並べて窯から上がってくるのがなんか光栄ですよね。

CICADAは日本語で「蟬」。私の苗字から取っています。蟬なので、木とか土からできている素材を使って商品を作りたいなと思っています笑。古くから日本で受け継がれてきたものや技術を使って、でも新しい文脈やデザインの商品を作って行きたいですね。

今年は会社としてソーシャルメディアにも力を入れて行きたいと思っています。パンデミックでプロジェクトがキャンセルになった時も、YouTubeでバズったおかげもあり、EC事業は爆発的に伸びました。日本にはこんなにいい商品がたくさんあるということをもっと知っていただくために、EC事業は強化して行きたいですし、若い層の方たちにも知っていただくためにソーシャルメディアのコンテンツを充実させてお客様に直接語りかけて行きたいと思っています。ニューヨークはアメリカ最大の市場ですが、ECならソーシャルメディアでの発信を通じて、ニューヨークだけでなくアメリカの3億人市場に日本の商品をPRすることができますし、世界にも知っていただくことができます。

日本にいるお客様は近隣のアジア諸国に新たな活路を見出すことが多いですが、アメリカにはアジア系人が2400万人います。アジア系の家庭は平均世帯年間収入も94000ドルと白人と比べても高く、日本のいいものに対する理解のある客層が確実にいるんです。

もちろんアジア系以外も重要なのですが、比較的日本人とライフスタイルが近いアジア系の人等は良い応援団ですし、アジアに売るくらいなら先にアメリカのアジア系に売るべきです。私たちはこれからもアメリカ市場に日本の素晴らしい商品を広めて行きたいと思っています。

お客様の声にむきあいながら

—— 時代を読み取ってプロジェクトに繋げる仕事をされていますが、日頃からどんなことを気にかけていますか?

感謝しないといけないことは、常にお客様が新しいヒントをくれるということです。私たちが市場調査などから知り得ることもありますが、お客様のフィードバックがより良いサービスの実現に繋がるので、カスタマーサービスには常に気を遣ってお客様の声に耳を傾けるようにしています。我々は色々なプロジェクトを手がけていますが、その点では創業時から核となる部分は何も変わっていないと思います。お客様がより良いサービスへのヒントをくれるので、私たちも真摯に向き合うようにしています。

やっぱり日本とアメリカでは文化も違うので、日本のクライアントさんにアメリカ市場に進出する際のローカリゼーションも理解してもらわなくてはいけません。例えば、日本とアメリカではマグカップの大きさや家の大きさも全然違います。私たちの感覚も大切ですが、数値やデータで見せることで、アメリカではどういう方向性で販売していくのがいいかということを理解してもらうようにしています。これも、お客様の疑問やクレームも含めたフィードバックがあってこそ、誤解のないように、分かりやすいように説明しないといけないという気づきをいただきました。

そうそう、こういうアメリカ市場がなぜ重要なのか?などについてもYouTubeで発信していこうと思います。良いサプライヤーさんとの出会いにつながればいいなと思って。

—— ご自身をどんなリーダーと自負されていますか?

出来ているかどうかは別にして、常に、自分が率先してものごとをやっていくということを心がけていますし、そうでありたいと思っています。私が経営者なので一番苦労しないといけないんですよ。部下に同情されるぐらい頑張れって、いつも自分にいい聞かせています笑。20年近くサラリーマンをやっていたので、その中で自分なりに反省点も色々ありますし、尊敬できる先輩にも会いました。社員のみんなが成長できる経営者でありたいです。まだまだですけど。

パンデミック以降、リモートがメインになったので社員のみんなやフリーランスで協力していただいているかたたちと直接顔を合わせる機会は減ってしまいました。私がコロナにかかった時は社員全員でサポートをしてくれたし、繰り返しにはなりますが、社員以外にもフリーランスの方たちにも大勢支えてもらいました。本当に今まで支えてくれた皆さんに感謝しかないです。

会社を立ち上げた当初は辞めていってしまった人も、辞めてもらった人もいますが、今はとてもいいチームになっていますし、従業員の意見を尊重するようにしています。やっぱり現場の直接お客様に接する従業員の感覚は最優先したいし、常に従業員の意見を聞くようにしています。私たちの理念に共感してくれる人、日々一緒に体験し、成長できる人がいれば、いつでもウェルカムです。

—— 10年後はどうなっていると思いますか?

これまでの10年は「昨日より今日、今日より明日」という気持ちでやってきて、将来のことをじっくり考える余裕もありませんでした。でも、ようやく方向も見えてきたので、これからの10年は、もっと共感してくれる仲間が増えたらいいなと思っています。あと、もっと自由に動きまわって活動拠点も増やしていきたいです。今はダラスやカリフォルニアにも倉庫があるので、ニューヨークだけでなく、アメリカの他の都市でも事業を広げたいです。さらに言えば日本とアメリカはもちろんですが、マレーシアにも住んでいたので、アジア圏は土地勘があるので、アジアにも活動の場を広げられたらいいなと思っています。そのためには日本の拠点も大きくしたいですね。

それから、少しずつまわりが見えてきたことで、若い層の人たちにアドバイスできることもありますね。やっぱり、一度はお世話になった会社から飛び出して外の世界を見ることは必要だと思うんです。トライしてみてダメだったら元の会社に戻ればいいし、今までお世話になった会社の有り難みにも気づくはずです。まずは外に出ていろいろなことを感じてみてください。実際私も会社を辞めたことでジェトロが独立行政法人として中立的な立場で行ってきた事業の素晴らしさを身にしみて感じました。あとは日本を飛び出して海外に出ることもオススメしますね。起業も海外移住も、英語も関西弁なまりでそこそこの私でできたのだから、皆さんにもできると思いますよ!

夢中は、努力に勝る

—— 最後に、蝉本さんが今、夢中になっていることを教えてください。

最近、写真を始めたんですよ。あらためて古いけど良いカメラを買って、早朝や夜間クラスを取って、若い人たちに混じって習ったり、今夢中になっています。写真とマーケティングやビジネスって似ていると思うんですよね。写真はこの世の中のどこか一瞬を切り取り表現しているでしょう?写真を学んでいると、マーケティングや自分たちのビジネスも「伝えたいこと」が大事で、「いかに伝えるか」だと思います。何を選び(切り取り)、何を伝えるか、仕事やビジネスと同じですよね。

夢中は努力に勝ると信じています。努力を努力だと思っているうちはだめで、努力を続けるとその先に夢中になるフェーズがある。ニューヨークに来てからニューヨークで仕事をすることに夢中になり、気づいたら14年経ちました。写真と同じように、ビジネスもどこにフォーカスを当てるかを考えて進んでいきたいと思います。カメラも人間の目もフォーカス(焦点)が合うのは実は一点だけなんです。こんなに写真に夢中になるなんて、10年前は考えずに「フォーカスアメリカ」なんて名前にしたのはなんか偶然ですが、今思えばそういう運命だったのかな笑

社名が「フォーカスアメリカ」!フォーカスをどこに当てるかとなったら、やっぱりアメリカ市場、そして僕を育んでくれた日本。これからも日本のこころを大事に、頑張っていきたいです。

蟬本 睦 / フォーカスアメリカコーポレーション代表海外を舞台に活躍したいという想いから大学卒業後、ジェトロに入社。マレーシアで6年研修・駐在した他、世界中の海外見本市を通じた日本企業の海外進出を支援。2008年からジェトロニューヨークに異動。2012年にフォーカスアメリカコーポレーションを創業し、オンラインマーケットプレイスのSANTOKUの運営や日本企業の海外進出支援や市場調査、輸出サポートなど幅広く活動している。

関連の投稿