その8 中国の勃興
マレーシアにいた90年代後半くらいから、中国が騒がしくなってきた。天安門事件直後、中国への日本企業の投資は激減していたが、徐々に頭角を現していた。マレーシアには98年から2002年駐在したが、その間、台湾企業がペナンから中国へという動きが活発であった。つぎにアメリカ企業である。そして、いよいよということで、最後に日本企業が動いた。
東南アジアが通貨危機から這い上がる前に、中国はどんどん力をつけていく。日本もその大きな役割を果たしたように思う。当時、海外からの直接投資と、これら企業による海外への輸出というのが、中国の成長の原動力であった。
2004年ごろであったか、40名(社)くらいの視察団を率いて、中国の上海、浙江省、江蘇省をめぐる1週間のツアーをジェトロとして実施した。発展著しい上海もすごかったが、蘇州でシンガポールが開発していた工業区を見た時には本当に度肝を抜かれた。多くの日系企業を視察させていただき、東南アジアとは桁が違うオペレーションにこれまた度肝を抜かれた。
また、2004年、2005年には、上海で日本のアパレルが一同団結したショー、展示会を単独で開催するという大仕事を手伝わせてもらった。ジェトロの上海事務所はただでさえ、進出相談に訪れる日本企業の対応で大変なので、東京本部から足繁く通い、開催にこぎつけた。ファッションショーあり、展示会あり、自らが主催者となり、多くの来場者を集めるイベントを担当させてもらったことは本当に素晴らしい経験であった。ファッション、アパレルの業界の方とも毎週のように打ち合わせし、プロデューサーに立っていただいた四方さんには本当に仕事の進め方など多くを学ばせていただいた。この場を借りてお礼申し上げたい。
2004年の上海展覧中心でのショー、2005年の上海マートでのショー、いずれも私の携わったイベントの中でも思い出深いイベントである。
また、青島での日中韓産業交流会のおいては、山東省青島に足繁く通い、広州では自動車産業の展示会を主催するということで何度か訪れた。
なかでも、思い出深いのは広州である。当時、広州といえば、広州汽車、すなわち本田の進出先。そこに日産も進出、そして、業界のリーダー、トヨタ自動車がついに進出するという時期であった。アッセンブラーが海外に出ると、Tier1以下のサプライヤーがこぞって進出することになる。特にトヨタが動く時は、一気に企業進出が本格化する。
ジェトロは当時、アッセンブラーやメーカーが現地での調達を促進する、逆見本市というのをやっていて、たとえだが、デンソーがこういうのは作れないか?という部品を展示するというユニークな展示会であった。ジェトロが地元政府と協力して、単独で開催したのだが、どんどん大きくなって、200社だの400ブースというような規模で例年開催するようになっていた。